このシリーズのタイトルにもあるように、私たちは「いのち」という言葉をよく使います。もちろん、「生命」という語と同じような意味で使う場合も多いのですが、それを超えた語感を帯びていることも多く、「限りある生命」に対する「永遠のいのち」といったように生物学的な生命と対比して語られることすらあります。「いのち」というのは、そこらに「いのち」の形をしてころがっているようなものではなく、むしろ私たちがそう呼ぶことによって見いだしている自己や世界についてのある「まなざし」「見方」なのではないでしょうか。私たちが「いのち」を意識し、自覚するのは、現に「生きている」という直接的な事実からではなく、むしろ「死」を意識することによってであるように思われます。人間は「いのちとは何か?」を問うことによってはじめて人間になったのだと言うこともできますし、有史以来こうした「いのちへの問い」を担ってきたのは広い意味での宗教でしょう。今日、新しい医療技術や生命科学の急速な発展は、人間の生や死のかたち自体を揺るがし、私たちに新たな形で「いのちへの問い」を課してきています。「生命倫理(学)」という営みは本来、そうした問いのために生まれてきたものですが、その発展や制度化にともなって、そうした根本的な問いが忘れられつつあるように思います。当日は現代のいくつかの具体的な生命倫理問題をとりあげながら、それらが私たちに突きつけている「いのちへの問い」について、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。(安藤 泰至 )