いのち
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2012年度修学院フォーラム「高齢を生きる―認知症・胃ろう・尊厳死を見据えて―」
第3回 高齢を生きるー認知症・医療的介入(胃ろうなど)・尊厳死を見据えてー制度と現場のはざまで
 高齢化社会が本格化する中で、高齢者が満足感をもって日々の生活を生き、尊厳をもって自らの生を締めくくるための制度や文化は、まだ十分に成熟しているとは言 えない。本フォーラムでは、高齢者本人のみならず、家族に対しても大きな精神的・倫理的課題を突きつけることになる認知症と、それにともなう胃ろうの設 置、尊厳死の問題を本格的にとりあげる。また、こうした終末期の課題をしっかりと受けとめるためにも、そこに至る長い老いの時期を、いかに積極的に生きる ことができるかを、それを実践している先端的な現場において考えていきたい。
講師:根岸 宏邦 
(豊中愛和会理事長)
 特別養護老人ホーム(特養)100床、介護老人保健施設(老健)50床、障がい児(者)生活介護と短期入所80名その他高齢者ディサービスなどの運営を行っている。
 国家財政の窮迫により高齢者医療費の抑制は、これら介護福祉施設への期待と要望を増大させている。しかし入所には制度的ハードルもあり待機者も多い。医療的ケアー(胃婁を含む経管栄養、酸素投与、呼吸管理、投薬、点滴etc)の必要な利用者(患者)が入所することは施設の経済的およびマンパワーの面で施設運営を圧迫すると同時に、植物状態に近い方への医療的ケアーには虚しさを伴う。そこで「回復の見込みのない患者へのムダ(?)な医療、介護は本人も家族も望んでいないのではないか」という空気が醸成されつつある。このような状況に過剰に反応する例もあれば、安易な延命中止の思想は、「障がい者の命の切捨て」や「肩身の狭さ」に繫がるのではという障がい者側からの懸念の声もきかれる。そもそも「意味のない生」とは何か?「本人、家族が生命を終わらせたい」と望めば、かねて用意の判断マニュアルに当てはめて「はいそうですか」と終わらせて良いものかどうか?残りの生(医的ケアーを行った場合と行わなかった場合の)の質と期間(この判定が極めて困難)が重要なポイントではあると思うが、単純に割り切れない。いくつかの具体的な事例を提示したいので、多くのご意見を聞かせていただきたい。

2012年12月15日 (土) 13:30~17:30
場 所:関西セミナーハウス
参加費:2,000円 学生500円
締切日:12月12日
<講師プロフィール>
根岸 宏邦(ねぎし ひろくに) 氏
豊中愛和会理事長
昭和14年(1939)生まれ。神戸大学大学院小児科専攻終了後、米国マイアミ大学小児科、神戸大学小児科講師を経て、1978年より社会医療法人愛仁会高槻病院小児科医長、院長、理事長。専門領域(小児科:新生児医療、小児神経学)神戸大学小児科臨床教授。2007年より現在まで社会福祉法人豊中愛和会(高齢者、障がい児者,保育園)理事長、神戸大学保健学科大学院講師(非常勤)。
  
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